冬の蛹

f:id:n_azel:20171015032706j:image

すごい悲しくなって泣いた。

大切な人が死んだこと。それでママとパパが喧嘩をすること。ずっと生活が続くこと。とまれないこと。みんなと見えているものが違うこと。それを表明できないこと。面倒で鵜呑みにしてしまう。閉じこもってしまう。ぜんぶ、違うのはわかっているはずなのに、抗えなくなる。

守るとはたたかうということです。たたかうのは、つらく、くるしいことです。なのに、戦争はいろんなものをもたらしてくれる。だから、想像力があるのでしょう、そのために虚構が、芸術が、文化が、歴史が、あったはずでしょう。たたかうのをやめてはいけない。やめたら死ぬ。それでも戦争はいけない、と思うのは、やっぱり悲しいからだけど、みんなにしあわせをくれるなら、じぶんのことなんてどうでもいい、わたしの上だけに爆弾が降り注げばいいと、ほんとうに心から思っています。

守るには強くなくちゃいけない。捨てるものなんてなにもないから、ぜんぶのがらんどうを抱えていきたい。羽を隠して、愛しい手付きで、知らないだれかの頬を撫でる。平然と出来てしまうね。ほんとうの願いは絶対に言わないくせに。震える手で、愛するひとにくべる花。いつだって重力に負けるから、眼鏡におちる涙を拭うことすら忘れてしまった。思い出させてほしい。童話で泣いたり、昔話の教訓をまっすぐに受けていたりした女の子。透明な血液は、あなたといっしょに蒸発してしまったのですね。星を見ることすらなくなりました。強くあらねばならないと、かわいい女の子は孵化することなく死にました。洋服に残ったあなたの匂い。洗濯機でなにもかも濾過されるから、分離してまた悲しい記憶すら消えてしまう。脳みそはいつも空洞。興味のない詩だって、3回読めばあたらしく覚えてしまう。もしあなたに災厄が降ってきたときは、冬眠するみたいに、目を閉じて、過ぎるのをじっと待てばいいよ。わたしは大丈夫。

眼前の景色なんて見ていない、わたしは眠ったように、溜息の出る記憶を反芻している。悲しいほうの溜息といっしょにわたしがなくから、そのぶんきみに、幸福な、うつくしい、透きとおった呼吸が生まれますように。

製氷皿をひねる

f:id:n_azel:20170528030506j:image

 決定的な瞬間を見逃すな。あの子が、どんな顔でどんな声でどんな気持ちでどんなふうに。その一瞬のために冷え切った視界を準備し続けていて、それなのにあのか弱い肉体から発せられる匂い、顔は見えなくて、でも声で泣いているのがわかる。説得なんていう気の利いたものでもなく、演説なんて立派な主張でもない、たったひとつの、それでも膨大な感情で、魂をひっくり返したように、相手にひらいている。2人のあいだに流れる空気の密度、そこに至るまでの過程、あの子は何を話していたか、微塵も覚えていなくて、ただ思い出せるのは、5メートル先でひかった涙の、染み込んだその空間。たぶん最初は戸惑っていた。彼女は善人なので、揺れる、うまく出来ないとか、よくない胸のこごりみたいなものがだんだん満ち、結露していく、そのときの、かたいからだがきしむ音。ほんとうに言葉なんて信用ならないものだ。常に他人とはわかりあえない。そのあいだに言葉があるのだとして、自己の輪郭をこえて、時間をこえて、思想を及ぼすために言葉があるのだとしたら、一体なにが伝わるのだろう。これっぽっちも拾えていない。はみ出した響きがたくさんあって、説明を尽くしたところでこの純度の高さは失われる。私はなにを見ていたのだろうか。なにを聞いていたのだろうか。ただ、彼女が泣いて、そこに呑み込まれてしまった。そこにあの眼差しはもうない。なにしろ、なにも覚えていないのだ。どんな顔でどんな声でどんな気持ちでどんなふうに。どうやって辿り着いたのかすら、なにも思い出せない。ただ、いまここに生まれている激烈な場面から目が離せない。なにに心を奪われたのだろう。なにも見えていない、聞こえていない、感情も見えない、触れられていない、まったく関係がない、なのにこの胸にある激情は、一体なんだろうか。

水のような石

f:id:n_azel:20170504015934j:image

追われている。音もなく、混雑するプールから逃げるようにして。寂れた温泉施設のような、その土産売り場で、100円ずつの物語を見ていたかっただけなのに。ひたすら逃げ、壁を越え、すべてが焼き払われる。みんな死ねばいいのに。そんなことは思っていなかった。ただただ遣る瀬無い。そうだ、とふと脳に過ぎった友人のこと。あの子がいるはずのビルへ。塔のように聳え立つ12階を見据えて走った。詩人のうつくしい言葉。石碑に反射する夜の街灯に目のふちを灼かれながら、胸元の青い石を握り締める。石碑が昇り始める。そのビルの屋上に辿り着きたい。あの子ならこの気持ちを分かってくれるだろうと思った。ぶら下がり、降りた。降りた先には猫の死骸。女が毒を撒いたのだという。再び石碑を眺めると声がし、会いたくない女の声が、だから逃げるようにその場を離れた。屋上に辿り着くことはできなかった。

皆既食

f:id:n_azel:20170104001109j:image

この夜。この夜が心臓に立ちこめる愛しさを暴き出すこと、そのあとに、現実がひどくやさしく現れるこの夜に、温度なんて要らないものだろう。寂しいと思ったことなんて一度もなかった。なのに、胸のなかが空っぽで、この物足りなさは何なのだろう。苦しくて死にそうだ。死なんて考えたこともないくせに。主語のない思い。ウォークマンを付けたり消したりして、一曲の終わりが待てない。何にもそぐわない。これらの音楽が接続する記憶、微睡む、夜の闇。狂おしいほどに何かを求めている。この常なる欲情が、愛なのか、恋なのか、その正体がわからない。だから怖い。傷付いたことなんて一度もないのに、もう二度と、という気になって、いつまでたっても恋愛小説は好きになれない。
でも大事なことばがたくさんあるからフィクションに生かされてる。ずっと居場所なんてないと思ってた。今日だって人生がまるで手につかない。遠くのなにかを思うことがわたしのすべてで、ここにある肉体はひどく怠い、物語に蚕食された胸が痛くて、肺が痺れる。空白の時間はそれに気付いて、まともに喰らってしまうから、何かに傾倒していたい、と思う。何も考えたくないから、離れられないよ。どうしても。だんだん皮膚に閃きつつある冷や汗の感覚を忘れようとするみたいに虚構にのめり込んで、脳を溶かす。ずっと同じこと言ってるし思ってる、どうせこれもまた忘れるくせに。

雨宮まみが死んだ

雨宮まみが死んだ。べつにぜんぜん読んでも追っても見ても慕ってもいなかったのに、ときどきインターネットのどこかで彼女の文章と出会うたびに「雨宮まみ」という現象がじぶんのなかで確固たるものになっていくのがわかった。雨宮まみが死んだらしい。ぜんぜん知らないし会ったことも勿論ないけど。雨宮まみは死んだ。死んだところでこちらからの彼女にたいするアクセスの仕方なんて0.001ミリも変わらないのに。さよなら。iPhoneの向こうのひと。インターネットの僻地で見惚れた文字が脳裏に閃いて消えないままだ。

河を渡る

f:id:n_azel:20170504021607j:image

その本の表紙を開くと貝殻が埋まっていて、その色は陶磁器のような青だった。それを取り出し、2枚の合わさった先端で紙を擦る。文字が浮かび上がってくる。
「こんなに美しい筆記体を久しぶりに見た。」
敬愛する作家はそう言っていた。
霊体のコレクションだ。貝の羅列、虫の羅列、人骨の羅列。
「ねえ、どうしたらいい?」と、わたしはひたすら話しかけていた。どうしたらいい。朝、1枚ずつ着る服を選びながら、パジャマを脱ぎながら、相手の顔も見ずに言う。わたしはこのとき、この問いを投げかけることが許されている人間がすぐ傍にいつもいるという重要さに気づいていなかった。

f:id:n_azel:20161003004820p:image

たまらない小説を読み終え、喫茶店の階段を降りる。外に出るともう秋だった。お釣が100円足りなかったことには気付かないふりをした。帰路、住宅街はひっそりとして、どこかから金木犀の匂がする。自転車を降りて、肺を膨らましながらひどくゆっくり歩いた。鞄の底で光るiPhoneは多分くるりを流し続けている。
わたしはまともすぎるのでつまらない生活を続けて保身する。ここはすごく静かで、わたしは安全な場所にいる。目の前がすべての事実。甘美でも凄惨でもないただの事実。そんなことはわかっているけど網膜を半分絞ってあとの50%に立て籠もるのをやめられない。これだけ変えられない現実の摂理みたいなものに、フィクションは何を発信し続けてきたんだろう、いるんだろう。素晴らしいものは紛れもなく素晴らしい。それだけの事実。たぶんそういうことだ。
真っ直ぐに真っ当な正しさこそが正義だってことは誰だって知ってる。だけどそういう鋭さは現実の摂理には常に敗北するらしい。それでも人間は滑稽で悲しい生き物みたいなアレはどうやら事実のようなので、生きるにはあまりにもどうしようもなく、だからTSUTAYAは無くならない。いままで読んだ本たち、歌った言葉たち、内臓の深いところを傷つけたあとでひどくやさしく染み込んでくるような明朝体。こんなに最高があってたまるか。いくらでも思い出せるし、思い出すたびに胸が軋む。これはなんなのだろう。小説を2冊、漫画を7冊、アニメを5本、CDを3枚。それでもまだ腹は減っているので、消耗しきったはずの物欲にまた負ける。アマゾンドットシーオードットジェイピー、ご注文の確認。やめられない意味がわからない。どれだけなにかを吞み込もうと生活のどうしようもなさが消えるわけでもあるまいし。
こうして人間に戻れる夜や週末にいつもぼーっと遠くを見ているのはそこにわたしの待つものがあるような気がしてならないからです。確実にあるということしかわかっていないし、わたしの周りはなんだか落ち窪んでいて、ここには何もない。わたしはかわいい、なんで言葉でげんきを出せたらよかったのに。自分がうれしいことがわからない。きっと他でもないあなたがわたしを見てくれることだけが救いになる。救いと嬉しさは別な座標軸にあるということは知っているのに。遠くを凝視しすぎるあまり、あなたのことを考えすぎるあまり、あなたに出会えてもいないのに、あなたに会えた奇跡だけではすっかり足りなくなってしまった。脳内だけで進行する空想。近くに居るようでなんて遠いんだ。
夜が更けていく。濡れた髪でベッドに沈んで、また短い週末が終わる。窓を開けると、つめたい風が入ってくる。わたしのときめきはすごく遠くにある。たぶん、一生理解できないところに。