夜の河

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他人の楽しそうな声に押し出されてしまう夜の河のような部分、それはいとも簡単に干渉されてしまうけれど、少なくともわたしにはまだそれが流れていて、幽霊のように抜け出した繁華街に背中を向けながら、生温い風に負けじとライターを鳴らす、甘い煙草が一本、じりじりと燃え尽きる音を聴き、ごうごうと流れる河を見ながら、へらへらしているあの子は宮沢賢治を読まないだろう、でもそれでいい、あなたはあの青い水底を知らないでいてください、というような別れの手紙を脳で書いていた。わたしにはまだ詩があった。意外なことに。ぜんぜんやっぱりいらないと思った。アルコールで中和する世間とか、欲望とか、かなしみとか。内臓に流れる夜の河、それはことばを飲み込むたびに濁り、氾濫するけれど、この水の古い記憶、お金を稼いでいるあいだに何度も忘れてしまうたったこれらのことは、何度でも思い出し、いつまでたっても覚えている。

宛名

きみの声が、折りたたまれたことばをひらくこと、ヘッドフォンの暗闇にだけ本音があらわれることに、あまりにも忙しない季節のなかで、人はいつまでも気づけずにいる。

2千年後、とか、世界が変わるのってたぶんそのくらいで、3年。急展開とかあるわけないし、きみに期待なんてしていない。
ふがいない日常を何度も死ぬほど繰り返してもどこにも実感なんてなくて、確かなのは「いま」ここだけだってこと、その一瞬ずつの延長線上に奇跡があって、掴んだ、でも次の瞬間、きみの声はもう、そこにはない。
幻のような実感。その一瞬について。人は語るすべを知らないまま、いつかくる死にまきこまれて、眠る。朝がくればわたしは空っぽ、1秒、また1秒。なかったことにされてしまう。けどそんなの永遠にゆるせないから、ことばからこぼれてしまったものを、できるだけ、野生的に、すくいたい。鼓膜で光ることばのきらめきを、迷子にならないように縫い付けたノド、その傷口からながれる濁流が海へひらけるとき、かけがえのない実感を、きみの頰に告げたい。

祈りのような手紙しか、書けないね。それでもここに嘘はないから、2020年、虚栄のような街で、きみだけはほんとうでいてください。

 

草々

皆既食

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この夜。この夜が心臓に立ちこめる愛しさを暴き出すこと、そのあとに、現実がひどくやさしく現れるこの夜に、温度なんて要らないものだろう。寂しいと思ったことなんて一度もなかった。なのに、胸のなかが空っぽで、この物足りなさは何なのだろう。苦しくて死にそうだ。死なんて考えたこともないくせに。主語のない思い。ウォークマンを付けたり消したりして、一曲の終わりが待てない。何にもそぐわない。これらの音楽が接続する記憶、微睡む、夜の闇。狂おしいほどに何かを求めている。この常なる欲情が、愛なのか、恋なのか、その正体がわからない。だから怖い。傷付いたことなんて一度もないのに、もう二度と、という気になって、いつまでたっても恋愛小説は好きになれない。
でも大事なことばがたくさんあるからフィクションに生かされてる。ずっと居場所なんてないと思ってた。今日だって人生がまるで手につかない。遠くのなにかを思うことがわたしのすべてで、ここにある肉体はひどく怠い、物語に蚕食された胸が痛くて、肺が痺れる。空白の時間はそれに気付いて、まともに喰らってしまうから、何かに傾倒していたい、と思う。何も考えたくないから、離れられないよ。どうしても。だんだん皮膚に閃きつつある冷や汗の感覚を忘れようとするみたいに虚構にのめり込んで、脳を溶かす。ずっと同じこと言ってるし思ってる、どうせこれもまた忘れるくせに。

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たまらない小説を読み終え、喫茶店の階段を降りる。外に出るともう秋だった。お釣が100円足りなかったことには気付かないふりをした。帰路、住宅街はひっそりとして、どこかから金木犀の匂がする。自転車を降りて、肺を膨らましながらひどくゆっくり歩いた。鞄の底で光るiPhoneは多分くるりを流し続けている。
わたしはまともすぎるのでつまらない生活を続けて保身する。ここはすごく静かで、わたしは安全な場所にいる。目の前がすべての事実。甘美でも凄惨でもないただの事実。そんなことはわかっているけど網膜を半分絞ってあとの50%に立て籠もるのをやめられない。これだけ変えられない現実の摂理みたいなものに、フィクションは何を発信し続けてきたんだろう、いるんだろう。素晴らしいものは紛れもなく素晴らしい。それだけの事実。たぶんそういうことだ。
真っ直ぐに真っ当な正しさこそが正義だってことは誰だって知ってる。だけどそういう鋭さは現実の摂理には常に敗北するらしい。それでも人間は滑稽で悲しい生き物みたいなアレはどうやら事実のようなので、生きるにはあまりにもどうしようもなく、だからTSUTAYAは無くならない。いままで読んだ本たち、歌った言葉たち、内臓の深いところを傷つけたあとでひどくやさしく染み込んでくるような明朝体。こんなに最高があってたまるか。いくらでも思い出せるし、思い出すたびに胸が軋む。これはなんなのだろう。小説を2冊、漫画を7冊、アニメを5本、CDを3枚。それでもまだ腹は減っているので、消耗しきったはずの物欲にまた負ける。アマゾンドットシーオードットジェイピー、ご注文の確認。やめられない意味がわからない。どれだけなにかを吞み込もうと生活のどうしようもなさが消えるわけでもあるまいし。
こうして人間に戻れる夜や週末にいつもぼーっと遠くを見ているのはそこにわたしの待つものがあるような気がしてならないからです。確実にあるということしかわかっていないし、わたしの周りはなんだか落ち窪んでいて、ここには何もない。わたしはかわいい、なんで言葉でげんきを出せたらよかったのに。自分がうれしいことがわからない。きっと他でもないあなたがわたしを見てくれることだけが救いになる。救いと嬉しさは別な座標軸にあるということは知っているのに。遠くを凝視しすぎるあまり、あなたのことを考えすぎるあまり、あなたに出会えてもいないのに、あなたに会えた奇跡だけではすっかり足りなくなってしまった。脳内だけで進行する空想。近くに居るようでなんて遠いんだ。
夜が更けていく。濡れた髪でベッドに沈んで、また短い週末が終わる。窓を開けると、つめたい風が入ってくる。わたしのときめきはすごく遠くにある。たぶん、一生理解できないところに。

僕らの排卵日

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生理予定日だ。バランスが崩れている。こういうときはすぐにおでこにニキビができてわかりやすい。
現実的なことを、仕事を辞めたいことを、保険や年金のことを、パパとママが死んだあとのことを考えていると、どうしたらいいのかわからなくなる。お金のこと、家事のこと、止めてしまったアラームのあとの保証、みたいな些細な生活が不安で、自分ひとりのことすら背負いきれていないのがよくわかる。泣きたくなる。不安になって、毎日Amazonのアプリを開いてしまう。もう疲れたと言いながらアニメを見るのを、漫画を読むのをやめられない。わたしが3歳だった頃のアニメを見て、積ん読がなくなって、また漫画を買うけど届くのは来週の土曜日だからiPhoneでシリーズものを無料な限り読んでいた。なにもかも中途半端。自分のまわりに物語がないと不安になってしまう。喉が詰まる。
なにがほんとなのかわからないって感じがいつもしてる。実感がない。いろんな人のことを思うだけ思い、いい大人なのに恋もしたことがない。いちばんよくない人間になっている。自分で死ぬことはないと思う。そんな元気もない。面倒なのだ。なにもかも面倒。誰かが勝手に終わらせてくれるといい。そういう考えだからいつまでたっても最悪なんだろう。おなじことばかり考えてなんとなく答えを出さないままのわたしの人生に本番が来ることなんて絶対にない。わるいことのほうが確信を強く持てるのがかなしい。

夜とコンクリート

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酔いの醒めぬまま下着だけになって宛てのないメールを打っていると涙が出てきて、いつも逃してばかりでえらいことなんてひとつも言えないんだと思った。
もう眩い世界のことなど見てはいないです。諦めきって溜息吐いてばかりいたら、かっこいいとか、それは美徳じゃないとか言われました。すべては自分の都合。わかっています。わかっているんです。それでも愛しているし、憎んでいるんです。仕事ってなんだろう。生活ってなんだ。裏路地を行くキャバ嬢みたいに、吹っ切れたらよかったんだ、吹っ切れて女になれたら。この世でいちばんしあわせなことは、自分の好きなひとと一緒になることです。それはディズニー映画でも散々描かれてきたことだけれど、わたくしは恋愛ができない。ドキドキするのは疲れる。ただ自分の関係ないところで恋愛していてほしい。それを見ているからさ。自分のことなんてほんとうにどうでもよくなってしまった。こだわっていたはずの十代が消滅し、つまらない大人になる。歌謡曲にあるような人生だ。自由は怠惰ではない。それでも堕落しやすい。そういうことだ。みんな人間。労働は悪。肩書きって悪だから、許してほしいだけ。わたくしは態度がでかいので、恐縮してもおもしろくないじゃん、でも年下に親しげにされたらムカつきますよね、わかります、わかっているんです。こういうときだけ女でよかったって思う。ひどい人間だ。ひとりで生きたい。相対化しないと形成され得ない世界はめんどくさい。きれいになりすぎていて、わかりやすくしすぎることはうつくしくない。死ね。愛してる。夏の終わりの夜風を浴びて眠る。音楽なんてとうの昔に忘れてしまった。

アイビー

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ときどき春が訪れる。こころのなかに、それは決して晴れやかなものとしてではなく、桜が散るようなあの不安さを携えながら。iPhoneを点けては消し、点けては消し、溜息を吐いては窓の外を見る。繰り返し聴き続けた音楽を、また今日も眠る前に流して、のこりの10秒、その終わる頃に微睡みから浮上する。ひどくたよりない。忘却しきってまるで知らなかったみたいなこの春を、音楽は貪欲に覚えていて見事に奪還する。止してください、もう通り過ぎたんですから。諦めきったような溜息を吐いては、まだムッとしている。わたしは誰かではない、わたしは誰でもない。わたしでもなく。この容れ物のなかにあるのはなんだろう。乾電池の中身みたいなもんか。自分の輪郭は重く、柔らかく、醜い。排卵日はいつのまにか始まり、いつのまにか終わる。しかしかけがえのないものではないものは、大人になるにつれ、いつのまにか終わるということが出来なくなっていく。けじめをつけなさい。やっぱり死ぬことはいちばん楽かもしれません。不幸の代価としてのお金。だがこの春には何の価値もない。ただ、そこにあるだけ。春。春のことは愛しているけれど、ひとりでいい。なんとなく始まるために。終わるために。そうして多分もうすぐ冬が来て、またほんとうの春を思い出すことになるんだろう。さよなら。はじめまして。後ろに誰かいないものか。