貝の火

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春の破壊光線。相対的に地面の上に置かれる踵。風は鋭いのに体温は微睡んで、海から来た身体と出会う。
靴の修理をしたい。新生活はどう?服を買いたい。仕事辞めて海外行きたいんだよねー。何年後かのはなしをしながら、ごはんを食べる。こいつは自分の性に微塵の疑いも持っていないなーと思いながら、過去にくれた理解のこと、共通の友人のこと、行けなかった2月の浜辺のこと、外国のこと、貸してくれた映画のこと、それぞれがわたしのなかにきちんと立ち上がってくる。わたしはむかし、ひとりで生きているつもりでいた頃、君にひどいことをしたけど、まだ連絡をくれるのかと思って愛おしくなる。互いに不器用で、腹の底で持て余しているエネルギーをどうしたらいいかわからないので、ひたすらにことばが詰まっては、溢れるように満ちては引いて、さいごにやさしく笑って砂を吐き出す。
真新しいソファーに沈んで、英単語のはなしをしながら、ハンモックほしいねって言ったら手が届く値段だったので驚いてしまう。哀しいこどもはもうわたしのなかで死んだことになっており、相手に共感するたび素直になっていく。膨らんだ肌が塩水に浸かっている。欲はフィクションにまとわりついて散らかるので、もうこの際ぜんぶばらばらでいいこととする。わたしたちは互いに殻を纏ったまま、ゆるやかに出会い、ゆるやかに別れた。
帰ってからは半端にしてた村上龍を読み、昨日買ってきた古着のボタンをつけて、インターネットでまた本を買い、またひとつ安く生活を諦める。なんでも物語が解決してくれる。そうしてちっとも現実を生きてないからいまだに人生の本番がいつかわかっていない。だからへんな夢を見る。夢のほうがリアリティを持っていた時期のことを思い出して肌がひりつく。
5月の気圏に残る桜の花びらを捕まえながら、結局会えなかったひとたちが視線を交わすという確率について、いま現在という動く点Pのこと、その点に注ぐべき熱量のことを考え、それは多分いまもむかしも何ら変わらず、愛は買えたり買えなかったりするけれど、もうすぐあたたかい雨が降ったり、紫陽花が咲いたりすることを思えば、その1年後にもここが湿っていることを思えば、いますぐ鉛筆を置いてもいいような気がしてしまう
風呂上がり、小指の先に絆創膏を貼ってここがじぶんの一部であるのか不安になった。皮膚が汚れているとき、その下には穴が空いて、ひんやりとした呼吸をする。生き物が消えた草原は湿っていて、どこもかしこも濁っている。