こわいおもい

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凄惨、っていうよりもっとしずかな、真空みたいな世界。砂漠を歩く。鞄に入ったまま背中に張り付いたやり残しのタスクが気になって、それ以外にも山ほど理由はあるのだけれど、ぜんぶのわるいこと、それを嫌悪でぐるぐるに縛ってしまって、ほんとはもっとわけのわからない、かなしみでもさみしさでもないたまらなさを、ぜんぶひっくるめてそこへ放り込んで、音楽も聴けないきもちを延々と自分に説明する。結局イヤホンから流したのはラジオで、大好きな明るい声、それでもずっと空虚で、目的地を避けるようにY字路を間違え、さんざん回遊したのち新宿を逆流して辿り着いた灯り、きれいなホテル、ベッドの真向かいにあるテレビ、その大きな画面には夜が閉じられている。どこにもつながらない夜。時計の針は進むのに一向に更けていかない。はみ出して流れ出す黒い時間。そこに雨が降って、コンクリートが色濃く濡れる。栗の花が匂い立つ。紫陽花が咲いて、春が終わる。
降りてきた5月の夜にも枯れることのない街路樹、人肌に触れるような風に立ち止まって傘を開きながら交信する。もしもし、聞こえますか。わたしはげんきです。きょうは会いたいひとに会えました。思い出したいひとを、思い出しました。あしたも晴れです。晴れで、また外へ出られます。外へ出れば、おなかがすいて、またなんとか今日が終わって、明日のための準備をする。わたしはしあわせです。しあわせなのだと思います。子供のころ、テレビで見たこの街を、ひとりで歩いています。ディズニーランドだけじゃない、この都市の、夢の、希望の、王国の、きらきらはまだ死んでいないのだと思います。それでもまさかこんなにしんどいなんて思いもしなかった。
このきもちの理由として、思い出せるいくつかの夜があるとして、そんなの1年に2、3度かもしれない。1年に読める小説の数、観た映画の本数。一生分のキスとセックスの回数。どれだけぼうっとした偶然だったとしてもわたしが選びとったことになるそれぞれはいったいなんなのだろう。脳を信頼していないからこんなことになる。いやになるくらいの生活、人間のふりをしなくてよくなる休日にふと我に返って、自分の低い声を意識する。もう戻れないんだと思うとうつくしくもきれいでもないこの夜が痛いくらいにやさしくてみじめでぼろぼろ泣いた。