みんな死ねばいいのに

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7月ですね。上半期もなにもありませんでした。ほんとうに生きている意味がないので資本主義を恨む気力すら湧いてこない。やることといえば毎日楽な欲望を持つことくらいで9割のそれらは現実になってくれないし、休日に欲望を解消することでどうにか人生の辻褄を合わせています。幸せを手に入れたいなどとはひとつも思えず、ただ自分の時間のなかに立て籠もっていたいだけです。音楽のなかに、本のなかに、アニメのなかに、演劇のなかに、インターネットのなかに、立て籠もっていたいだけ。ときどき考えるのは、もし同性と結婚できるならしたいかそうでないか。ここでの結婚は古い考えに基づくものとして、相手と一緒に食べる、寝る、セックスはお任せで。永遠のルームシェア。恋愛対象と結婚するかどうか。兄弟や友達のあいだにある愛と恋愛は地続きになっているのは分かっているはずなのに、自分のこととなるとそこにどうしても大きな断絶がある。どこで間違ってしまったんだろうか。例えば双子の兄弟と一生やっていける仲だとして、仕事は、食事は、老後は、死んだあとは、そう考えるとやっぱり生殖が介入しないとダメそうで、お墓の管理とか誰がしてくれんだろうとか思っちゃいますよね、思いませんかね。真っ赤な他人にはこれらのことを無償では頼めないことを改めて知り、血縁関係の容赦のなさも知る。かといって他人とはうまく折り合わなければならず、日常に疲れているときに性的なものを求められる屈辱さや嫌悪感は否めず、どうやっても性別のなかで生きていかなきゃいけないらしいのにどうやって生きていけばいいのかわからなくなるしかない。愛しているとかいないとかそういうのすべてやめませんか。みんな適当に愛しているんだし。お金を使っては貯め、自明のことを書いた分厚い手紙を引き出しの奥にしまって、また遠くの恋に思いを馳せる。2人やそれ以上で恋なんてできるわけないだろ。結局はひとりで足りる。なんにもなくていい。惰性最高。パントマイムばかりの暮らし。愛していてもいなくても寂しかったことなんて一度もなかった。いまのいちばんの希望は世界が破局へ向かっているっぽいことです。ほんとうは欲なんかないのに国民ぶって七夕はなにを書こうかなーなんて考えている。例えばこの文章を書いてること自体既に後悔しているけどぜんぜん生き直したくはない。心にもないことを言うのが得意になって、大人になってきはじめた。ぜんぶ死ね。