したごころを、君に

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よく高校のことを思った夜だった。高校の風景。なんだったっけ。なんにも考えてなかったし服とか芸人のブログとかのことばっかり気にかけてたから大事な思い出ってあんまりない。せっかくの青春を、勿体無い、とか思わないところが薄情。その薄情さを反省する気もないし。なんだかずっと遠くを見て生きてきたなと思った。ヒーローになれるとでも思ってたんだろうか。大人になってから撮ったプリクラに落書きしながら(広義での)体力を失ったなーとしみじみ思う。こういうのにすら凝っていた。ノートの表紙とかリュックの色とかジャージの着方とか。年を経るごとにいろんなこだわりみたいなものもどんどんなくしていった。あの頃は文字の書き方ですらいろんなものに引っ張られていたような気がする。4の上を閉じるか。7のはじめを折り曲げるか。9はいつまでたっても大人っぽく書けなかったし。他人の文字の書き方を黒板の白い線で見るのが好きだった。人差し指に引っ掛けるようにしてチョークを流し刻む世界史の先生が好きだった。
きのうなんとなくレインちゃんのことを思い出していたところに当人から会おうと来たので突然の誘いでもすんなり行くよと言った。インターネットで再会してブログを読みあったりして彼女が斜陽読んだってところでたちまち太宰読みたくなってしまった。みたいなところまで書いて、こんなのは宛てているじゃんと思い、ラインできのう思い出してたよって伝えたのち5行くらい書いていた文章をカットした。
人生どうよ?というはなしをしても人生はどうにもならない。それなのに笑顔で深い溜息とともに撃沈しながら酒を飲む。わたしたちは異性だったら結婚してるよね、というセリフ。きみが男の子だったら、なんて何回も言われてきたけどほんとうはどっちがどっちでもいいんだよな。性別にがんじがらめになっているのは自分のほうだってわかりすぎるくらいわかっている。恋愛と結婚って違うのよね、ということはもうさんざん、なのにどうしてもそこに諦めがついていない、というか、好きなひとと結婚できたほうがやっぱりいいに決まっている。だけどそんなの疲れるだろうな、ということもわかっていて、どうして割り切れないんだろう。髪の毛を伸ばしてみてもいい、と思えた恋があったはずなんだけど、どれだったかすっかり忘れた。結局、お気に召すのは物語としての恋愛で、他人の恋愛を言語化することばかり上手くなり、すっかりそこの領域がこじれている。レインちゃんがここ10年くらいずっと好きなひといるよって言ってて、えーって驚いたように言ったけどそういやわたしもずっと誰かを好きだな。傾倒とかおたく的なはなしだけど。絶対に人生が交わらない対象ばかりだけど。でもそんなのはエヴァじゃん。好きなひとわたしで生きたいんじゃなくて、好きなひとになりたいんじゃん。憧憬で絶望で希望で諦観じゃねーかっていつでもここに辿り着いてしまう。神のきもちを思った。信仰されて嬉しいわけがない。では何故神は神になったのか。己を疑ったりしなかったのか。直感と理性がごちゃごちゃだったり肉体と思考がばらばらだったりしながらR.D.レインのはなしをしてまた変なきもちになり、自分のこういうところまだまだ錆び付いているんだなと思った。
何も考えず制服を着ていたあの頃と、死にそうな顔でスーツを着ている今と、一体なにが違うんだろう。考えるということ。思考を巡らすということをしなくなった。
外に出ると雨が止んでいた。天気予報をきちんと見たのに傘を忘れたのを思い出した。