因果律

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日曜の昼までたっぷり惰眠を貪って、社会人から退化するために学生気分の変な服を着て外に出る。塞がりかけたピアスをブチ抜いて、それでも鞄の中に入っているのは日本経済新聞で、あんなに最悪な思想だと思ってた結婚のことばかり考えて、自分がどんどんしっちゃかめっちゃかになっていく。
プロントで広げた便箋の上に勝手にぼたぼた落ちていくのに、どれだけ足しても足りない言葉に嫌気がさして、ほんとは言わなくてもいいことばかり書いてしまう。よしんば愛し合っても1度、その1度がこの手紙のように長ったらしいとは限らず、それでも勝手に信頼したから放った告白がある。人は結局わかりあえないので、すこしでも知ってもらうための祈りのような手紙をしたためる。草々。さいごに付け加えた今日の日付を見てもやもやしていた気持ちに理由をつけた。290円で買った時間。そのあいだに黙々と灰になる420円。衰えていく自分の身体と、青空文庫で読む0円の『桜桃』のどちらに価値があるんだろう。そんなの自明のことですね。なにも悪いことはしていないのにスーツ姿の人間とすれ違うたびに頭を振って前髪を目にかける。
週末になるといつもわからなくなってしまう。どうやって生きていればいいのか。これから死ぬまで生きることがまだ信じられない。インターネットに接続されている世界と、月曜日の朝から生きる世界と、どう折り合いをつければいいんだろう。そういうのがわからなくてバカだからせっかくの休日に人に会いたいわけがないのに化粧をして外へ出てしまうし。行かないのに映画館の上映スケジュールを眺めて2時10分からのズートピアに間に合わないことを確認してしまうし。やることもないのに帰りたくなくて生温い駅の裏のよくわからない段差に座り込んでしまうし。定期的な溜息に寄り添うみたいにピン、ポーン、と流れ続ける盲導鈴。あーあ、都心の駅のことを思って目を閉じる。雨や音楽や匂いがいろんな思い出の接続点となって虚像の感情が立ち現れる。帰れば生家は壊されるというニュースを食卓で聞き、どんどん居場所がなくなっていく。わたしの夏が奪われる。
明日の弁当をつくりながら、大人ってすごいなーと言ってみる。仕事に行きたくないときどうしてるって訊いたらパパは惰性で行くって言ってた。まだ22歳かーとこぼしたらママはまた週末のアレが始まったって言って笑った。たまらなくなったらテレビのほうを向いて録画してたアニメをつける。月曜への私情を混同して泣くなんてアニメにたいする冒涜だと思う。ごめんなさい。すみませんでした。わたしだってつよくなりたい。離れた世界で繰り広げられる暑苦しい友情はこんなにも甘美で、ひねくれることなく自分の感情を受け入れられるのはフィクションの中だけです。フィクションのなかのヒーローはまっとうに輝いて、他人のことを眩しいとか思ったりしない。現実世界にヒーローはいない。いてたまるか。というか、ヒーローが現れるような非常事態なんて身近に起こりはしない。仕事中に鳴った地震速報に、いろんな意味で胸が疼いてごめんなさい。このつまらん今が人生の本番であることを無視し続けてごめんなさい。盲目に信じないと意味がない。考えたって意味がない。懺悔しても意味がないのに、この苦しさはなんだろうか。

いのちの名前

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すごくいい日の終わりに死にたいって思ってしまった
試験が終わって陽が高くなる頃、神社で人を待っていたらいつのまにか6月になっていることを思い出した 緑が重たくなって空は青い、明るい空気を吸って喉が渇いた 季節が熱くなって、わたしに向かって手を振った彼の青の明度が上がっていた
それからいつものようにドライブをしながらどんどん街から外れ、音楽とアニメのはなしをし、気負わない食事をした 自然に囲まれるのは心地いい いつでもわたしは溶け込めるなーと思った 川に入って、裸足で地面に立つと、何も考えなくてよくなった 遠くを見て、虫の声、川の音、樹々の騒めきを聴き、視界が鋭くなって、途方もなく星の上に立っているような気がした 振り返ると君が一眼のシャッターを切っていて、世界がヒュンと自分のなかに戻ってきたとき わたしはここにいるのだと思った ここにいて、ここにしかいられない そういうふうに遠くから近くの世界を展望して諦めを癒していくやさしさを思った 農場の端でソフトクリームを食べながら、君は夢のなかで男の子だった だけどそれでもいっかって思ったよ、って言われてうれしかった
夕方はレインちゃんと会い、壁に寄りかかってビールを飲みながら恋とか人生のはなしをした 嘘みたいなことばかり現実になっていく ほんとうの幻想はそのままだけど なにかが始まって終わっていくときの、なにかを望みながら諦めるときの、あの痛くもなくつらくもなく寂しくもないが、心に青い高温の火が灯る感じの、凄惨な感じの気持ちのことを、「トーキョー」って感じがするんだよね。といった心持ちで頷き合った 時が来れば潔く別れ、帰ってから、もらった本がよくて泣いた 我に返ってあしたが月曜日であることがまたつらくなった 漫画を読み、漠然と人生のことを思い、またひとり人のことを思い出したけど、連絡は取らなかった
ママの弾くピアノの音が聴こえる夜 世界を肯定したいと思いました 立ちすくむときはいつも誰かのことを思い出して、指先に灯るiPhoneの液晶を愛おしく感じている

谷底

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渋谷へ行くことはよくあるけど、どれも俯向くような記憶でうまく思い出せない。藤原新也の『渋谷』がわたしの手段で、駅では常に岐路に立たされる。落ち窪んだ谷間に駅があり、坂の頂上の向こうには何があるかわからない。谷底ではいつもだれかを待っていて、わたしはそれに気付かないふりをしている。周りを見回したくて仕方がないのに、わざと視界をぼやかして、じぶんのなかに閉じこもっている。坂を上って、街と彼と戦争のことを思って、また坂を下る。
東京に何度目かのさよならをして、窓の外を300km/hで通り過ぎるいくつもの街、下れば都会の明るさがだんだん弱くなり、車内灯の反射がはっきりとしてくる頃、わたしは詩の朗読を聴いていて、窓に映るじぶんの顔がすごくかわいそうだった。停車するたびに知らない街に降りたくなるのを我慢する。終点、溜息を吐きながらホームに降り立つと、夜風があたたかくて、夏かと思う。
改札を出て、帰ってくることにまだまだ慣れなくて、舌を噛む。すがるようなきもちで歩く駅の裏の夜を愛している。ぽつぽつと規則的に並ぶつめたい電灯とか、ぼんやりした鏡の窓、人間のいないきれいな都市。しずかで、涙が出る。愛してる。
家に着いて、明日や明後日や2週間後のことを考えていたらやっぱりどんどん泣けてきて、お風呂に入る前に鏡を見たら化粧がぜんぶなかった。姉にどうしたらいいのかなって泣きついて申し訳なかった。買った缶バッジもどっかに落っことしてきてしまったし、渇いた空洞のこころで、きょう観た演劇のこと、聴いた朗読のこと、思うと、剥き出しの感覚が落ちてきて、空きっ腹にアルコールみたいな感じ。嘘ばかりついて誤魔化して、いまこんなに泣いていてつらくても、時間が経つと郷愁みたいなものになり、懐かしさはすべてを愛に塗り替えるし、ほんとうに最悪だと思う。日記を書いたってぜんぜんほんとうのことを言ってない。例えばきのう言いたかったのは、寄席に入りたかったってことで、そこをわたしは夜の深い時間、朝の早い時間に、横目に見ながら通り過ぎることしかできなくて、みんながふらっと入れるはずの寄席にじぶんだけ入れなくて、ものすごくみじめなきもちになったっていうこと。生きてるだけで丸儲けなわけがないじゃん。たくさんのクソみたいな出来事を耐えてきて、夜の新宿で生活からあぶれたひとたちも、毎日仕事をして、ときどき遊んで、羽目を外して、またじぶんの人生に戻っていく。すれ違うひとたちがみんな、すごい遠くにいるように思える。わたしだけ違う世界線に生まれてきちゃったみたいな顔をしてさあ、わたしはずるいよね。怠けているだけ。もう月曜日なのに午前1時にiPhoneをまだ眺めていて、最悪だ。わたしもアイドルになって、わたしを愛してくれる知らない男に刺されたい。嶽本野ばらのシシリエンヌみたいに。この人にはわたししかいないのよ。

こわいおもい

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凄惨、っていうよりもっとしずかな、真空みたいな世界。砂漠を歩く。鞄に入ったまま背中に張り付いたやり残しのタスクが気になって、それ以外にも山ほど理由はあるのだけれど、ぜんぶのわるいこと、それを嫌悪でぐるぐるに縛ってしまって、ほんとはもっとわけのわからない、かなしみでもさみしさでもないたまらなさを、ぜんぶひっくるめてそこへ放り込んで、音楽も聴けないきもちを延々と自分に説明する。結局イヤホンから流したのはラジオで、大好きな明るい声、それでもずっと空虚で、目的地を避けるようにY字路を間違え、さんざん回遊したのち新宿を逆流して辿り着いた灯り、きれいなホテル、ベッドの真向かいにあるテレビ、その大きな画面には夜が閉じられている。どこにもつながらない夜。時計の針は進むのに一向に更けていかない。はみ出して流れ出す黒い時間。そこに雨が降って、コンクリートが色濃く濡れる。栗の花が匂い立つ。紫陽花が咲いて、春が終わる。
降りてきた5月の夜にも枯れることのない街路樹、人肌に触れるような風に立ち止まって傘を開きながら交信する。もしもし、聞こえますか。わたしはげんきです。きょうは会いたいひとに会えました。思い出したいひとを、思い出しました。あしたも晴れです。晴れで、また外へ出られます。外へ出れば、おなかがすいて、またなんとか今日が終わって、明日のための準備をする。わたしはしあわせです。しあわせなのだと思います。子供のころ、テレビで見たこの街を、ひとりで歩いています。ディズニーランドだけじゃない、この都市の、夢の、希望の、王国の、きらきらはまだ死んでいないのだと思います。それでもまさかこんなにしんどいなんて思いもしなかった。
このきもちの理由として、思い出せるいくつかの夜があるとして、そんなの1年に2、3度かもしれない。1年に読める小説の数、観た映画の本数。一生分のキスとセックスの回数。どれだけぼうっとした偶然だったとしてもわたしが選びとったことになるそれぞれはいったいなんなのだろう。脳を信頼していないからこんなことになる。いやになるくらいの生活、人間のふりをしなくてよくなる休日にふと我に返って、自分の低い声を意識する。もう戻れないんだと思うとうつくしくもきれいでもないこの夜が痛いくらいにやさしくてみじめでぼろぼろ泣いた。

400回の未遂

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なんだか寝付けず具合の悪い起床をしたものの、旧友と会う約束を取り付けたので互いの近況報告とこれからのことを延々と話した。よく笑い、よく食べたのに、午後になると死にたいきもちが急激に襲ってきて、日曜日の笑点からの時間を思い出していた。家に帰ったらどっと疲れがきて、過去が恋しくなって、現実がこわくなって、泣いてしまいそうなタイミングを見計らって最強のアニメをつけて、誤魔化す。どっちもまじめに向き合えなくてサイテーだなって思う。ぼろぼろ涙がこぼれて、休日にやっと調子を取り戻したかに見えた身体は平日を迎えて見事にダメになり、やり残したことがどんどん繰り越され、iPhoneのメモもどんどん増えていく。
たぶん、憧憬を持ちすぎてるんだと思う。わたしはヒーローになりたかった。大好きで、大好きなのに立ち向かえない。それは愛しているからではなくて、ただ単に体質である。生理的に受け付けないということです。わたしの愛は融通がきかなくて、ものすごい引力を持っていて、別々の個々のままで存在するためには、それを飲み込むか飲み込まれるかして没入する、もしくは完全に距離をとる、それしか方法がない。じゃないとどちらも死んでしまうから。肩を並べて傍にいることができない。こういうことが起きるたびに引き裂かれている。魂がとっ散らかったまま、肉体が落ち着かないまま、ここまで生きてしまっていつもどこかずれている。かみさまばかり眺めて、キラキラのアイドルの眩しさには目を焼かれるし、傾倒のあかつきには角度が度を過ぎてイカロスみたいにまっさかさまで、わたしを裏切らないのはもはや物だけなので、Amazonの配達が途切れるのがこわい。二万円のギフト券はいつのまにか消えてなくなりました。届いた本ばかり読んでかわいさもなくなっていく。人生が余っている。余りの時間を本棚としてさ、あと何冊刺せば生きるのやめられるかなー、リスク回避ばかりしてたら死ねないよ、どうすんの

告白

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なにもかも通り過ぎて使い果てて動かなくなった 想像して想像して想像して想像して行動に移さない わたしはぜんぜんがんばれないから

ここ数年は好意に応えることをぱったりやめてしまっていたので、わたしはありがとうって言った、そしたらはっきり伝えてくれて、だけどかたちだけ曖昧なまましてくれて優しかった わたしがきちんと明確に鮮やかに境界を跨いでしまったときの心圧を鑑みればほんとうに落ち込んでしまってダメになってしまう

たぶん奥のほうではまだ男のひとがこわい 生温かい夏の予感みたいな風なのに内臓がぶるぶる震えていて、はじめてからだをひらいたときに似ていると思った 覆い被さる夜闇はひどくやさしくて、柔らかなわたしを迫害する せんせい、とわたしの口が言い、どんどん自分が遠くへ行くような感じがした こわくて、みじめで、ぜんぜん大丈夫になれなくて、きもちだけがつよくて毅然としてて平気でまともで、肉体が付いてきてくれない いつもそう ハタチになったときみたいなきもち 圧倒的っぽい境界を跨いだのに毎日や自分自身はなんにも変わらない わたしはバカだと思う ほんとうにバカすぎて呆れる 恋情に断絶がないほど相対的に断絶がうまれるということ じぶん何言ってるかわかんねーなまじ

雨の中の庭

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初めて会った日もこんなふうに雨が降っていたと思う、書店の狭い通路、本にまみれてわたしたちはまた出会う。駅を出て、街の奥へと進んで、ジェラートを食べて、雨が晴れて、市場を歩いて、歌をうたって、その子は詩的でスノッブな恋をしている、スパークリングワインの泡のはじける感触を頬の内側に感じながら、甘い色のリップが彼女の柔らかい唇を濡らしていくのを眺めながら、そんなのはたまらなく幸福でどうしようもなくつらい恋だと思った。
わたしはたくさん好きなきもちを持っているけど、恋人らしい恋人はいたことがなくて、例えば鏡を見る回数の少なさとか、写真にうつる姿の醜さに驚いたり、結局まっさらになにも見えていないから、いつまでたってもラヴ・ソングのなかに立て籠もる。
何回目になるかわからない「あなたが男の子だったら」と「わたしだって」を繰り返して、今朝見た夢を思い出す。わたしにはペニスがあった。慾の抗えなさに自分を愛おしく思えて、そこから少しずつあたたかい気持ちが流れ込んでくるので自分のことを好きになれそうだった。香水をつけている男の子とすれ違うとき、自分を大切にできるひとの匂いだ、と思う。記号を武装した彼が言ったらしい「僕だって必死なんだ」、そのことばに込められた感覚にひどく身に覚えがあって慄いた。
わたしたちはカリウムにまみれた煙草を投げ込んで、淡いピンクの森に彷徨っていて、その森に吹く風は心地よくて、コンパスがないから帰れない。
ポーカーをしてるんだ、当事者のふりをして傍から演出しているんです、いちばんロマンチックなシーンはどんなだろう、この子あれが好きだったっけな、ときめくことばは。
この森のなかで囁いた音の粒子はすぐに樹々にのまれてしまい、空洞のからだは迷子、辛うじてまとまっていたじぶんが突風でビリビリに引き裂かれてそのツケは現実に流れ込むので、再び虚構へ逃走することとなる。恋情はなだらかにつながっているものだから、洞窟の暗さも地面のつめたさも感じてください、だけどあの森から出られないうちは酩酊しているからぼやけてしまう。どうすんのとわたしは訊ね、どうしようねと彼女はこたえた。「たすけて」、その声にうるうると満ちているうれしい感情に、幸あれ、と思い、タイムリミットは8月、夏が垂れ込めて思い出がゆがんでしまう頃、あの小説が幸福な溜息とともに閉じられたらいいなと思った。