扁桃

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疲れ切ってベッドの上でiPhoneをぼたぼた落としながらこれを書いている。それくらい愛しい夜だった。最高な友人たちと駅を終点に別れた帰り道、いくつもの言葉を思い出し、いくつもの言葉を忘却していった。数年前を覚えている意味はなんだろう。わたしにとってこの人たちには思い出が少なく、それでもその生身が目の前に立っているだけでぐっと喉がつまる思いがする。そういう人ばかり好きだ。思い出のない人間たち。居心地なんてそこに思い出がなくたって良いものだ。わたしたちは何時間も意味のない応酬を繰り返し、よくわからない名前のアルコールを飲みながら、歌ったり叩いたり黙ったり眠ったりして、魂をひっくり返さなくてもよくて、バカのようにただ一緒にいた。わたしは人間が仲良くしてるのを見るのが好きで、片目を瞑りつつバカのように煙草を吸って、あまり喋りもしないのに声を枯らして、それでも寂しかったことなんて一度もなかった。
ウォークマンの充電が切れた。またこの夜キリンジに鬱が溜まっていって、前にここを歩いた夜は息を白くしながらビートルズを聴いていた。途中で終わった続きを歌おうとしたら喉が渇いてうまく歌えなかった。音楽なんてぜんぜん好きじゃないのに常に胸にある。顔を上げると道端には紫陽花が咲いていて、椿屋四十奏を聴いていた時期を思い出して、自分が社会不適合者であることを思い出して、急に途方に暮れた。夏はここから始まって、きっと終わるまえにまた始まる日のことを考える。冷たい川風。雨になるまえの飛沫が肌にはりつく。痺れた皮膚がやさしくなっていく。
自分の孤独は清しくない。威勢がいいからなんでも大丈夫になる。切ったばかりのざりざりした髪の毛を触りながらいくつもの可能性のことを考える。いろんなきもちのことをたぶらかし、最低だと思う。最低だと思うのに、いくら振り向かれても背を向けたくなる、この満ち足りなさはなんだろうか。愛のことは抱きしめられるのに、愛に抱きしめられることに吐き気がし、いつまでもひとりでいたくなる。電気を点けないでほしい。深夜にすれ違った車が4台、自転車が2台、人が9人。誰かを待っている街灯、自動販売機。下水道を流れる汚水の音に安心させられてしまう。誰か、と思いながら、数少ない友人たちのことを思い、それらすべてが特別で、恋仲だと思う。手をつなぎたい。みんな幸せになればいいと思う。家に着けばきっと、3分待てなかったカップヌードルを最後まで飲み干しながら、みんなの未来のことを考えている。この帰り道の距離を歩いて、距離なんて概念を習ったこどもの頃に、こんな夜がいくつか訪れることなんて思いもしなかった。いつもは惰性で歩いている道を無視して斜めに自由に地面を選び取り、長く伸びる線路を跨がずにその上を歩いてみる。歩けば絶対に駅に着けるのに、ここからはどこへも行けない。いまが目の前にあるたったこれだけのことであることなんてもう知ってるのに、なにもリアルではない。実感が湧かないからどうでもいい。なんでも逃げられる。いつか終わる。そう思ってしまう。フィクションが正しい。フィクションみたいな本番が待っている。そう、ずっとなにかを待ってそのまま死ぬんだろうなーといつも思う。だけど歳を重ねるごとに諦められることも増えてきて、備えることをやめたら鞄はみるみる空になりました。それなのに、最悪だったぜんぶを許し、最高だったぜんぶを忘れたはずなのに、翌朝鞄の底に落ちている、飲み屋で貰った桃味の飴の包み紙はきちんと愛を知っていて、動悸の眠りのなかで口走ったことも、つめたい自分の指先のこともぜんぶ覚えている。報われない恋心ばかりが大切で、満たされることが恐ろしい。いつも足りないうつくしい余白をアイドルやアニメで埋めて、充分に生きている。チョコレートもピンクも指輪もいらない。首の細さを隠すために巻いた手拭いがまだ固い。